「自分が誰か分からない。どうやって生きていけば…」 島根の山中で目覚めた後、約2カ月間”記憶喪失”の男性 顔出し取材で情報呼びかけ

「自分が誰か分からない。どうやって生きていけば…」 島根の山中で目覚めた後、約2カ月間”記憶喪失”の男性 顔出し取材で情報呼びかけ

 

「自分が誰か分からない。どうやって生きていけば…」 島根の山中で目覚めた後、約2カ月間”記憶喪失”の男性 顔出し取材で情報呼びかけ(ABCニュース)

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「自分が誰か分からない。どうやって生きていけば…」 島根の山中で目覚めた後、約2カ月間”記憶喪失”の男性 顔出し取材で情報呼びかけ

記憶喪失で「自分は誰か」知りたいという自称・田中一さん(1日撮影)

今年7月、島根・奥出雲町の山あいを走る国道沿いの植え込みで、激しい頭痛をともなってふと目が覚めた男性。 【動画で見る】”記憶喪失”になった自称・田中一さんの声や話し方の特徴は… 「自分はなぜここで倒れているんだろう」「ここはどこなんだろう」。そして、「自分は誰なんだろう」ー。 それからもうすぐ2カ月。いまだに過去の記憶が戻らないものの、大阪の地で、少しずつ生活を立て直そうとしています。 いま一番の願いは「自分は誰か」が明らかになること。男性は「どんな些細なことでもいいので、情報がほしい」と話しています。

島根県の山中で財布の中はカラ 携帯なし、ブランドバッグには60万円・・・ナゾだらけの発見状況

「自分が誰か分からない。どうやって生きていけば…」 島根の山中で目覚めた後、約2カ月間”記憶喪失”の男性 顔出し取材で情報呼びかけ

島根県の山間部で目覚めた田中さんの当時の所持品

男性は「田中一(たなか・はじめ)」と自称しています。本名はまだ、思い出すことができません。 年齢は30代後半〜40代前半。とても聞き取りやすい、きれいな標準語を話します。 自称・田中さんによると、いまある最も古い記憶は「茂みの中にいる自分の近くを通り過ぎていく車」。 この「茂み」というのは、何日も経ってから、島根・奥出雲町の山間部を走る国道314号脇の草むらだったことが分かりました。 その後の警察などの調べで、目が覚めた日は逆算して「7月10日頃」となりました。 「時間帯はたぶん、明け⽅か、⼣⽅かのどちらかです。起きて頭が痛くて⽬が覚めたんですけど、とにかく頭が痛くてもうそのまま、また眠るような感じ。2日くらいはそのまま倒れていました」 ようやく体を起こせるようになり、おそるおそる頭を手で触れてみましたが、出血している様子はありませんでした。 男性は半袖Tシャツに黒いズボン、サンダルの格好。近くにはイタリア製ブランドバッグが落ちていました。ここで倒れていた理由も、自分の名前も、何もかも記憶がありませんでした。 でもバッグについては不思議と「自分のものだ」という感覚はあったと言います。 バッグと一緒に散らばっていたブランド財布には現金は1円もなく、免許証などの身分証もありませんでした。 しかし、バッグの中には、チャック付きポリ袋に入れられた約60万円もの大金が入っていました。 他にはスウェーデンのブランドの腕時計、衣類、メガネ、モバイルバッテリー、ライターなどがありました。携帯電話はありませんでした。

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「延命水」で命をつなぎ、街中へ なぜ警察に相談しなかったか聞くと…

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奥出雲の名水百選の“延命水”が田中さんを救う(写真=奥出雲町観光協会提供)

「『ここはどこなんだろう?何でこんな所にいるんだろう?』と。あとはのどがすごく渇いていて、とりあえず散らばっていた物をカバンにまとめて、坂を下ったり登ったりを続けていたら『水』と書かれた看板が見えました」 これは島根県名水百選の一つに選ばれている「延命水」とみられます。 田中さんはこうした水が飲める場所を足がかりにしながら、野宿生活を続けました。地元住民とみられる人から初めて話しかけられたのも、こうした水飲み場でした。 「⽔を汲みに来た⽅がいたんですけれども、その⽅が話しかけてくださって。『なんで⾃分がここにいるかわからなくて、正直困ってるんです。 どうすればいいですかね?』と話をしたら、最初はすごい半信半疑な感じで受け止められました。ちょっとお⾦があるから、街に⾏きたいんですっていう話をすると、これから車で出雲市駅の近くを通るから、その駅まで送ってあげるよっていう話になって」 街中に出てこられた田中さん。 ここでようやくコンビニを利用して食料品を調達できました。他にもいくつかの店でキャンプ用品などを買い、時には電車も使って出雲市や松江市を移動して放浪生活を続けていたそうです。 記者が「警察や役所になぜ相談しなかったか」と聞くと―。 「キャンプ生活を続けている中で、何人もの人からいろいろ助けてもらいましたが、頂いたアドバイスとして『もう少し間隔をあけて警察に行ってみたら?その間に家族から捜索願が出ているかもしれないし、情報が出る確率は上がると思う』というものがあったんです。あと、ある日記憶がぱっと思い出せるかもしれないというのもあって…」 助けてくれた人の中には、携帯電話本体を譲ってくれた人もいたそうです。田中さんはSIMカードの買い方も教わり、電話番号の取得はできなかったものの、インターネット環境が整いました。

警察に相談するも身元特定の手がかりなし

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「警察でも身元が分からなかった」行き詰まった田中さんは“ある決意”を固める

しかし、記憶は一向に戻りません。 徐々に減っていくお金のことも気になり、8月に入ってすぐ、広域交番を直接訪ねて助けを求めました。交番では顔写真を撮られ、これまで出されている捜索願と一致しないか、警察官が調べてくれました。 しかし情報が一致するものはなく、さらに大きな警察署に連れて行ってくれました。 「身長・体重を測ってもらい、指紋も採取。同時並行で、身元が分からなかった場合に備えて市役所の方も呼んできてもらえました。また、警察の人が病院に連れて行ってくれましたが、やっぱり身分証も保険証も何もないということで診てもらえなかったです。そして、警察署の調査でもやっぱり身元は分からず、市の方からは『シェルターというのがあるが、いま満床なので入ってもらえない』と言われました」 ここで行き詰まってしまった田中さん。しかし、市の担当者から「大阪行き」を提案されます。

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「グリコ看板」のかすかな記憶頼りに大阪へ

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記憶にあったのは“グリコの看板”(大阪市中央区)

「市の人と話している時にお伝えしたのが、大阪・ミナミの"グリコ看板”だったんです。いくつかの断片的な記憶があって、その一つがグリコ看板でした。『大阪に行くなら、その高速バス代は市として出せる』ということだったので、島根にいても状況が良くないならと考え、『行きます』と言いました」 8月13日朝に大阪に着きました。さっそくグリコ看板があるミナミ・道頓堀に向かいましたが・・・。 「看板の前に20分ぐらいいたんですけど、特に何も思い出すこともない。何も記憶は戻らなかったんです」 島根県の山奥で目が覚めて、ほとんどの時間を一人で過ごしていました。大阪の区役所では市内の救護施設を案内されましたが、相部屋になることがわかり、不安に駆られて入所を断りました。 途方に暮れながらも、田中さんは電車に乗って北上することに。目指した場所は福井県の東尋坊。それには理由がありました。 「グリコ看板の他におぼろげな記憶としてあったのが東尋坊なんです。東尋坊でノートを見ていて、ノートには『東尋坊に来たぞ』というのと『自殺します』とあるんです。でも、その字は自分の字ではないんです。他にうっすら記憶があるのは長崎の平和祈念像、フジテレビ、富士山で、大阪から一番近いのが東尋坊だったので行こうと思ったんです」 しかし、田中さんはそれから約10日間を警察の留置場で過ごすことになります。

長さ8センチの折りたたみナイフが見つかり逮捕

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大阪府警本部

とりあえず京都に出て、福井方面へ向かうことを考えた田中さん。路線図や地図を見ていたときに、大阪府内にある駅近くの市役所にふと気がつきます。 「島根の役所の方からは、グリコ看板を見ても何も思い出せないなら、大阪の役所で相談してみてくださいと言われていました。いろいろ考えて、もう生活保護を受けたいと思って、市役所を訪ねましたが、行方不明になっている人だと見なされて、市の人が警察に通報されたんです」 駆けつけた警察官が田中さんに氏名などを確認しますが、田中さんは答えられません。 職務質問を受け、バッグを調べられたとき、バッグ外側ポケットの底から、刃渡り約8センチの折りたたみナイフ1本が見つかりました。 田中さんは持っている認識がありませんでしたが、銃刀法違反の疑いで逮捕されたのです。 「取り調べでは、もちろん、なんでナイフを持っていたかと聞かれましたが、分からないとしか言えなかったです。記憶を無くしているという僕の話は、最初は半信半疑で受け止められていたと思いますが、島根県警などに問い合わせもしてもらったみたいで、最終的は7~8割くらいは僕の言っていることを理解してもらえたのかなと思いました」 「逮捕から1週間くらい経ったときの警察や検事さんの雰囲気として、僕の扱いに困っているような気がしました。想像の部分もあるんですが、僕が悪意を持ってナイフを持っていたわけではないので、釈放して危険かというと危険ではないだろうと。でも身元不明なので、簡単に釈放もできない、と」

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「更生緊急保護」でグループホームに

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田中さんを支援するNPO法人「ぴあらいふ」

 検察側は勾留10日目で田中さんの釈放を決定。関係者によると、検察と連携をとった保護観察所が講じた措置が「更生緊急保護」だったといいます。    更生緊急保護とは、不起訴となったり執行猶予付き判決が出たりするなどして拘束が解かれた人のうち、家族や公的機関などからの援助を受けられない人に対して、本人からの申請を受けた保護観察所長が住居の支援などを行う、緊急的措置です。これがきっかけで、田中さんは大阪府内のグループホームにやっと落ち着ける「居場所」が見つかりました。

飲食店に体験入店 不安を抱えながらも生活再建へ

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飲食店でアルバイトをして生活再建を目指す田中さん

田中さんはいま、大阪府内のNPO法人「ぴあらいふ」(本部・大阪市旭区)が運営する府内のグループホームで一時的に生活しています。 (飲食店員)「1リットルに対して100ミリリットルだから覚えてね」 (田中さん)「はい」 9月1日、田中さんは法人が運営する飲食店でアルバイトの体験をしました。少しずつ、生活を立て直そうと努力しています。 記憶喪失の状態で目が覚めてから、もうすぐ2カ月。この間、たくさんの人の支えがあって何とか生活を続けてこられました。 それでも消えない不安の理由は、やはり「自分が分からない」ということ。 「いままで⾃分が何をしてきて、いま、自分は何のために⽣きて、どうすればいいのか。自分の身元が分かったら話は終わりと思う一方で、でも身元が分かっても記憶が戻らなかったらどうしようって。その場合はどうやって生きていけばいいんだろうっていうことも不安です」

男性の特徴と問い合わせ先

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身元を捜している自称・田中一さん

(2日現在で分かっている手がかり) ・7月10日頃、島根県奥出雲町で目が覚める以前の記憶を喪失 ・年齢30代後半~40代前半(見た目) ・標準語を話す(わずかに関東訛り) ・モヒカンの髪型  田中さんは情報提供に繋がると考え、“目が覚めたときのモヒカン”を維持しています。 ・身長約165センチ ・黒縁のめがねを所持 情報提供先:NPO法人「ぴあらいふ」 TEL:080-6664-7759                   Eメール:tanakatoiawase@pialife-loger.com




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